株式会社LAZARUS(ラザロ) - 大阪市中央区本町の歯科技工所株式会社LAZARUS(ラザロ) - 大阪市中央区本町の歯科技工所

ACTIVITY / 活動報告

2020-05-16 20:44:00

近況報告・戻りつつある日常・伊能忠敬etc・・

 こんにちは、100日後に嘔吐く(えずく)村田です。

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 さてGWも終わり、だいぶ日常が通常運転に戻ってきたように感じます。 もちろんまだまだ予断は禁物ですし、自分自身かなり自粛はしていますが、だいぶ気持ちは上向きになってきたように感じます。

 

 先日10周年を迎え、お世話になっている医院さんや業者さん、師匠や独立した元スタッフから、こんなにたくさんのお祝いのお花を頂きました。

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 こんなに・・・こんないっぱいの花束に・・・誰が囲まれると思うんですか・・??

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 皆さんありがとうございます!! 心から感謝いたします。

 

 

 さて先日、「経営計画発表会」という、弊社では1年で一番大切な会議を行いました。 本来なら4月に入ってすぐに行う予定でしたが、1ヶ月前は世間的にそれどころではありませんでしたので、ずっと延期となっておりました。

 

 この会の目的は、1年の振り返りと、これから1年をどういう形で進んでいくかを明確にするためのものです。 弊社はこれをやり出したのは最近ですが、非常に重要な行事だと感じています。 

 

 同じ船に乗ってるとは言え、気を抜くとどうしても各自バラバラの方向を見てしまいがちになっていくものですが、1年に1度でもこういう機会があれば、皆同じ方向を向いて、同じ島に向かって進む事ができるような気がします。

 

 今回は新しい試みとして、勤続年数や評価に合わせた表彰も行いました。 私自身、スタッフ一人一人の事をじっくり考えるいい機会になりました。 今後も、いい形で続けていきたいと思います。


 

 私が一番開放感を感じる時は、「知らない街で一人でひたすらブラブラする時」です。 特に海外でブラブラするのは、最高に贅沢で楽しいひと時なんです。

 

 でももちろん最近はそんなことができるはずも無く・・・という事で、最近はグーグルストリートビューを見て世界中を旅したような気分に浸っています(笑)。

 ヨーロッパやアジア諸国、昔住んでいた懐かしいサンタモニカの街や、はたまた砂漠や南極まで行けるんですから、かなり楽しくて気がついたら2時間くらいすぐに経ってしまいます(北朝鮮はいけないみたい 笑)。

 

これは南極

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 で、「たまには近くにも行ってみよう」と思い、ラボの近くを散策すると・・・・。

 

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妙に見覚えのある後ろ姿が。 

 

というわけで寄ってみると・・・。。。 

 

 

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 ほー・・・・・・・・俺やないかい。 この特徴は完全に俺やがな! すぐわかったやんこんなんもうー。

※ミルクボーイの声で脳内再生してください

 

 

 ・・・というか、改めて客観的に見ると、キン消しみたいやなあ・・(笑)。 

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 友人には「悪徳闇金業者みたい」と言われました。 というか、闇金は基本全部悪徳やろ!!

 

 

 さて最近はジムにも行けず、部屋でできる限りの運動をしていますが、どうしても物足りないので、早朝と夜にランニングやウォーキングをするようになりました。

 で、現在とある事をずっと学習してるのですが、ウォーキングしながらイヤホン聞いて学習していると、気がついたらとんでもない距離を移動している時があり、思わず

 

『どれだけ歩くねん!! 俺は伊能忠敬か!!』

 

と叫んでしまいました。

 

 

 

 

 というわけで、今回はその伊能忠敬の事を書いてみたいと思います(強引 笑)。

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 この人の名前は誰でも知ってると思うのですが、意外と詳しい話は知られてないのではないでしょうか? でも、この人とんでもない偉人だと思うんです。 私の最も好きな歴史の偉人の一人です。

 

 伊能忠敬は、江戸時代後期の商人・天文学者です。 若くして商才を発揮し、事業で大成功をおさめた忠敬でしたが、急に「地球の大きさを知りたい!!」と、息子に家業を継承し隠居に入ってしまいます。

 

 かくして隠居した忠敬は、天文学者の高橋至時に弟子入りして天文学を学ぶ事になりますが、驚くべきは師匠の至時は、忠敬の19歳も歳下だという事。

 いくら勉強したいとは言え、事業で大成功した人がそんな若造に師事できますでしょうか?? 「物事を学ぶのに年齢なんか関係ない」という柔軟な考えの持ち主だったんですね。 これ、地味にめちゃくちゃ凄いなあと思います。 

 

 この時忠敬50歳(ちなみに、平均寿命が40代の時代です)!!

 

 そして至時の元で勉強した後、55歳の時にあの歴史的大偉業に向けて動き出します。 その歴史的大偉業とはそう、「正確な日本地図の作製」です。

 

 もちろん当時は測量技術も確立されておらず、今のような測量機器もない時代です。 ではどうやって測量したかというと・・・

『一定の歩幅(70cm)で歩けるように徹底的に訓練し、同じ場所を複数回歩いて歩数の平均値から距離を計算する』という方法です。 よくわかりませんが(笑)、気の遠くなるような作業である事はわかります。

 

 これを毎日40km歩いて測ったとの事です。 すげえ・・・。。。  リアス式海岸の所とかきつかったやろなあ・・(笑)。

 

 そして4万kmという地球一周分の距離を歩き、17年の歳月を経て遂に忠敬は正確な日本地図「大日本沿海興地全図」を完成させる事になります。

 

 この時、忠敬72歳・・!!

 

 

これが忠敬の完成させた地図です。 赤線が今の地図。

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 東北より上は誤差はあるものの、地形はほぼ一緒。 本州にいたってはほぼ完璧・・・!!!! 

 いやあ・・・・ほんまに凄い・・!!

 

 ちなみに忠敬が作った地図の実物大がこちら。 でかい!!

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 そして忠敬の死から32年後、あの黒船がやって来ました。 当時日本は鎖国していたので、西洋人は日本の事をほとんど知らず、「文明の遅れた知能の低い国」として思いっきり見下していました。 しかしペリーが忠敬の作った地図を見て腰を抜かすほど驚き、それ以来日本を見下す事をやめたと言われています。

 

 一説によると、ペリーは日本の測量をしたかったらしく、この地図が無ければ強引に測量を行い(忠敬の地図を見て、測量する必要がないと思った)、それに反発した幕府と戦いになり、そうなれば当時の戦力を考えたら日本は壊滅させられていたかもしれません。

 

 

 そういう意味で言うと、「忠敬の1枚の地図が日本を救った」と言っても過言では無いでしょう。 

 

 

 50歳を超えてから第二の人生を歩み、偉業を成し遂げた伊能忠敬の事を、人々は「中年の星」と言います。 本当にこの人の話を聞くと、何かを始めるのに年齢は言い訳にならないんだなあ・・・と勇気が湧いてきます。 

 

 

 ・・・・俺も頑張ろ。

 

 

 

 

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