ACTIVITY / 活動報告
こんにちは、インタレスティングむらたです。
どうでもいいですが、最近ピン芸人のチャンス大城と中山功太が好きで、ひたすら彼らの動画を見漁っています。 この二人はマジで天才やと思います。
先日大阪で行われた二人のトークショーに行きたかったんですが、出張でどうしても行けなかったので、初めて配信チケットを購入して視聴しましたが、やっぱりやばいくらい面白かったです!
おっと、いきなり話がそれておりました(笑)。 いや〜しかしなんやかんやと忙しく、気がついたらこの活動報告を思いっきり放置プレイしていました。
特に書き物系の作業が多く、書いているうちになんかこの活動報告も書いてるような気になっていました。 まあ、ここはほとんど誰にも見られていないので、そんなに気を使うことはないと思いますが(笑)。
書籍を出版して3ヶ月ほど経ちましたが、おかげさまで色々ご意見頂いたり評価頂いたりして、私自身非常に勉強になっております。
もちろん辛辣なご意見を頂くこともありますが、賛否両論あるのは最初から想定内ですし、少なくとも「ダンピングをすることは、技工士・歯科医師双方に恥ずかしいこと」という認識がちょっとでも一般的になれば良いと思っています。
電子図書版もリリースして頂きましたので、ご興味のある方は手に取って頂けると幸いです。
さて最近、立て続けに動画に携わりました。
とは言っても私が作った訳ではなく、歯科系ユーチューバーとして活動されている方々に取り上げて頂いた形です。
歯科技工士の和田幸之輔さんには、拙書を読んでいただいた感想をアップして頂きました。
イケメン!!
その他の動画も非常にレベルが高く面白いので是非ともご覧になってください!
歯科医師と歯科衛生士のユニットである「キミ歯科」様には、ラザロを取材して頂いて3本の動画をアップして頂きました。
あくまで一般の方に向けたチャンネル・内容ではありますが、弊社の雰囲気やスタンスなんかがおわかり頂ける内容かと思います。
1本目は「歯科技工士はどんなことをやっているか」です。
2本目は「歯科技工士の仕事の実際」をインタビューされています。
3本目は「歯科技工の作業」を軽く紹介して頂いています。
二人とも可愛い(笑)!!
このチャンネルも非常に勉強になる動画がたくさんあるので、是非ともご覧になってください!
和田さん、キミ歯科さん、ありがとうございました!!
最近は相変わらず出張も多く、全国津々浦々北海道から沖縄まで、楽しみながら気楽に一人で飛び回っております。 特に沖縄は今年に入ってから8回目(!!)の訪問になりました。
ある日の午前中に空き時間ができたので、那覇の郊外を日光浴しながらブラブラしていると、寺と神社が隣同士にあったので訪問することにしました。
実は私は顔に似合わず(どういうこと?)、神社仏閣が結構好きなんです。 特に信仰心がある訳でもないのですが、なんか神社仏閣の空間にいると気持ちが落ち着くんです。 多分、建物の感じが好きなんだと思います。
さすが、沖縄の神社は狛犬ではなくシーサー!!
奥まで足を進めると、階段を登ったとこに見慣れない石碑があったので、行ってそれをずっと見ていたんです。
そうしていると、後ろから年配の女性に「お参りするのでちょっと失礼します」と声をかけられたんです。 で、その方に「これは戦没者の慰霊碑です」と教えて頂きました。
そして「すぐ近くに対馬丸記念館があるので、よかったら来てください」と言われたので、元気よく「わっかりました!」と答えましたが、恥ずかしながらその時は「対馬丸」が何のことか一切わかりませんでした。
一通りお参りが終わったので、お声がけ頂いた「対馬丸記念館」に行く事にしました。
「対馬丸事件」を簡単に説明すると、1944年8月22日、沖縄の那覇から長崎へ向かう学童疎開戦「対馬丸」が、鹿児島県の離島付近で米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した事件です。
乗船していた約1800人のうち、約1500人が亡くなったという凄惨な事故でした。
で、対馬丸記念館の中に入ると、入り口正面のショーケースの中に、二つのボロボロのランドセルが。 よく説明文を読むと、対馬丸で犠牲になった小学生の女の子二人の遺品とのこと(館内は写真撮影OKです)。
非常に神妙な気持ちでそれを見ていると、後ろから声をかけられたんですが、振り返ると先ほどの年配女性が。 実はその方が、記念館の運営に携わっておられるとのこと。
そしてさらに話を聞くと「そのランドセルの二人、私のお姉さんなんです」との衝撃の一言が。
よく話を聞くと、事件当時その方はまだ赤ちゃんだったためお姉さん達と一緒には対馬丸には乗ることができず、後日お母さんと一緒に行く事になったとのことでした。
そしてまずお姉さん達が先に行く事になり、事件の犠牲者になってしまわれたとのことでした。 「私は赤ちゃんだったから、たまたまこうして生き残れました」とおっしゃていました。
約1500人の方々が犠牲になりましたが、全員が亡くなった訳ではありません。
この高良政弘さんという方も生存者(当時19歳)の一人です。 両親・兄弟姉妹9人を失いましたが、幸い妹さん(当時17歳)と弟さん(当時4歳)は数日間の漂流の後、一緒に救助されました。
※画像クリックで拡大
これはその状況を自身の祖父母に宛てて書いた手紙です。 実際に読みましたが、胸が締め付けられる内容でした。
こんな絶望的な状況の中、祖父母に「自分は大丈夫です、今は辛いけど決して力落とさんで下さい」と励まし、「弟は必ず立派に育てます」と力強く語っています。
19歳ですよ・・・。。。
そしてこの事件の特筆すべき点は、「事件があったことを絶対に他人に言うな」という箝口令が引かれたことです。 この手紙の中でも「このことは、隣近所に一切言わないで下さい」と念を押されています。
要するに日本軍としては、米軍にやられたことが知れ渡ると、戦局が悪化していることが国民にバレて士気が下がってしまうことを懸念したわけです。 ご遺族にいたっては、身内が亡くなったことすら誰にも言えないという絶望的な状況だったわけです。
正直、私は今までこの事件のことは知りませんでした。 こんな凄惨な事件があったのを知らなかったということに、非常に恥ずかしい気持ちになりました。
沖縄の人達は授業なんかで聞くのでみんな知っているらしいのですが、沖縄以外の人達にはあまり知られていないのではないでしょうか?
その夜、沖縄のドクターと飲みに行った時に対馬丸の話をしたところ、ドクターから「あ、僕の知り合いの方が対馬丸のご遺族ですよ」という話が。
よく話を聞くと、上記の手紙を書かれた高良政弘さんの当時4歳の弟さんである高良政勝さんという方とお知り合いで、なんとその方は那覇で歯科医師をされているとのこと。 しかも対馬丸記念館の館長をされているとのこと。
たまたま知ったこの歴史上の事件でしたが、本当に色んなことを考えさせて頂く機会になりました。
⬆︎
対馬丸事件をリアルに描いたアニメです。
決して軽い内容ではないので、御視聴は自己責任でお願いします。