ACTIVITY / 活動報告
こんにちは、「迷える毛根」ことアンモニア村田です。
さて書籍を出版してからしばらく経ちますが、最近内容について問い合わせや質問を結構頂くようになりました(ほとんどがTwitterのDMにて)。
多くは、これから技工士になる事を検討している方やその親御さん、現在技工士学校に通っている学生さんなどからです。
もちろん御質問には嘘偽りなく「リアルな技工士業界の現状」をお伝えしていますが、自分が動いた事により「未来の技工士さん」の背中を押したり参考にして頂いているのであれば、これ以上に幸せな事はありません。
もし何かに悩まれている方は、私でよければいつでもお話をお聞きいたしますので、気軽にご連絡頂けると幸いです!
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私のTwitter
さて先日、「燃える闘魂」ことアントニオ猪木氏が逝去されました。 個人的には最近亡くなった有名人では、上島竜兵さんと同じくらいショックでしたね・・。
私の数少ない自慢に「アントニオ猪木にビンタされたことがある」ということがあります。
しかし目の前で見るアントニオ猪木はとてつもなくデカく(まだ引退したばっかりでした)、あまりのオーラと威圧感に足がすくんだ覚えがあります。
リアルに刃牙でよくある描写のように、空間が歪んだような感覚を受けました。
とは言え、「まあそうは言ってもプロなんで手加減してくれるやろ」と思っていたのですが・・・甘かった(笑)。
思いっきりビンタされ、当時体重が48キロしかなかった私は大袈裟ではなく吹っ飛びました。 帰ってからもしばらく頬が腫れて痛かったです。
思い起こせば、猪木さんは物心ついた時からずっと見ていたスターでした。 我が家はプロレス中継を見る風習がなかったのですが(若干試聴を禁止されているような雰囲気があった)、私自身は強烈にプロレスに興味があったので、当時家の離れに住んでいた祖父の部屋にこっそり行って一緒に見ていました。
子供の自分にとって、超人たちが本気で血まみれになりながら殴り合っている姿はあまりに刺激的で、「いつか自分もこのリングに立ちたい」と強く思ったものです。
私は特にタイガーマスクに夢中になり、その後大人になってから念願のタイガーマスクと一緒に飲むという夢を叶えることになります。
2代目タイガーマスク 故・三沢光晴氏
猪木さんはジャイアント馬場と同時に力道山に弟子入りしましたが、「元読売ジャイアンツの投手」という肩書きから鳴り物入りでデビューした馬場さんと違い、母・兄弟達とブラジルに移民して農業している時にスカウトされた猪木さんは、扱いが全く違うかったと言われています。
左ジャイアント馬場・中央アントニオ猪木・右力道山
馬場さんはエリートとして手厚く育てられた一方、猪木さんは毎日竹刀で殴られ、ゴミのような扱いを受けていたと言われています。
差別というかその「扱いの違い」が、のちに馬場さん率いる全日本プロレスの「明るく楽しく激しいプロレス」、そして猪木さん率いる新日本プロレスの「ストロングスタイル(怒りの感情をむき出しにしたスタイル)」になっていきました。
しかし新日本プロレス(以下新日)というのは本当に激動の歴史を歩んできた団体でした。 立ち上げの時から始まり、裏切りのクーデターから選手の大量離脱、それに伴う興行の大損害による売上の大幅低下・・、副業の失敗による天文学的借金、K-1・PRIDEなどの格闘技の台頭による深刻な人気低迷からの奇跡的なV字回復・・・!!
私も経営者の端くれとして、規模の違いはあれどそれなりに色んな事がありますが(笑)、辛い時は新日の歴史を振り返り、「新日に比べたら、自分はなんとさざなみの中で、なんとマトモな人達と仕事ができているんだろう・・!」と勇気をもらう事がたくさんあります。
ただまあ、副業の失敗は猪木さん個人の責任ですが(笑)。 これは有名な話ですが、よくレストラン等で見るタバスコは、猪木さんが副業で輸入した事により日本で広まったと言われています。
猪木さんはエースレスラーでしたが、それ以前に新日の社長でもありました。 比べるのは失礼ですが、イチ経営者としてこんなに色々あったら自分なら心と身体がもつ訳がありません。
ある時信頼しているスタッフからクーデターがあり、主力選手の大部分を引き抜かれて新団体(ジャパンプロレス)を作られたという、通称「新日本プロレス大量離脱事件」がありました。
まあ猪木さんからしたらたまったものじゃありませんし、何よりも団体存続の危機ですが、その時に記者に言った一言がこちら。
『暮れにはちょっと早い大掃除ができました』
この時ばかりは、私も子供心に「なんちゅう強がりを言うオッサンや・・・!!!」とびっくりしたもんです(笑)。 でも・・・今なら少しだけ気持ちがわかります(笑)。
しかし猪木さんがいなければ、プロレスだけではなく今の格闘技界もかなり違ったものになっていたでしょう。 私が生まれる数ヶ月前に、伝説の「猪木-アリ戦」が行われました。
当時はまだまだ「プロレスはリアルファイト」だと思われていた時代だったので、この試合は「世紀の凡戦」と酷評されましたが、今見たら完全に今のMMA(総合格闘技)の基礎となるような内容となっていることに驚かされます。
しかし現役ヘビー級ボクシングチャンピオンと異種格闘技戦って・・・。 当時の時代背景を考えても凄すぎて言葉を失ってしまいます。 この時猪木33歳・・・。。
さて猪木さんはYouTubeもやっていましたが、最後の動画はかなり凄かったですね。 「ありのままを見せる」というのは、誰にできることではありません。
この動画の最後に、猪木さんがアイスのガリガリ君を食べるシーンがあるのですが、これは「ガリガリの猪木がガリガリ君を食べる」という、猪木さんの最後のギャグだったとのことです。 すげえよ、すげえよ猪木さん・・・。
『闘う前に負ける事を考えるバカがいるかよ!!』
『いつなんどき誰の挑戦でも受ける!!』
『迷わず行けよ、行けばわかるさ!!』
アントニオ猪木氏のご冥福を心からお祈りいたします。