株式会社LAZARUS(ラザロ) - 大阪市中央区本町の歯科技工所株式会社LAZARUS(ラザロ) - 大阪市中央区本町の歯科技工所

ACTIVITY / 活動報告

2026-07-30 11:22:00

仕事への向き合い方・長崎訪問etc.....

 こんにちは、映画「マイケル」が公開されると聞いた時、最初「ついにマイケル富岡の伝記映画が公開されるんか!」と勘違いしていた村田です。

 

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 ヤキソバン寝袋欲しかったなあ・・・。

 

 

 先ほど予定を見ていたら、年内の土日はほぼ予定で埋まっている状態ということに気付きました。 ただ自分の仕事のスタイルとして、「仕事しながら遊び、遊びながら仕事をする」というスタンスで臨むようにしているので、何一つ辛いことはありませんが(笑)。

 

 よく「仕事が嫌だ」「仕事が面白くない」と嘆いている人がいますが、私にはその感覚があまりよく分からないんです。 

 

 言っていることが矛盾しているようですが、仕事なんてそもそも面白いわけがないんです。 仕事なんて辛いものなんです。 不都合なものなんです。 思い通りにならないものなんです。

 

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 なので、「仕事なんてどうせシナリオ通りにならないもの」という認識を常に心に折り込んでおき、その上で「どうやったら楽しめるか」に全力投球すべきかと。

 

 楽しみ方なんかは人それぞれだと思うので、一度「自分にとっての仕事の楽しみ方」を本気で考えてみられることをお勧めいたします。 もしかしたらその後の人生が変わってくるような価値観が生まれるかもしれません。

 


 

 2026年1月のニューヨークタイムズで、「2026年行くべき52ヶ所」が発表され、日本からは沖縄と長崎が選ばれました。

 

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 私は全国各地色々訪問してきましたが、まだちゃんと長崎県に行ったことがありませんでした。

 長崎は紛れもなく日本の文明開花の扉を開けた場所の一つであり、これはやっぱり見ておかないといけない!ということで、先日長崎市を訪れてきました。

 

 

 大きな目的は「軍艦島(正式名称は端島)」です。 

 

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 軍艦島(正式名称は端島)は1890(明治23)年三菱の買収により本格的な開発が始まり、明治から昭和にかけて日本の近代化を支える炭鉱として栄えました。

 

 ただ、建築物の劣化が激しく、いつ崩壊するかわからない(というかもう崩壊が始まっている)ので、数年後には観光で上陸できなくなる可能性があると聞き、今回行くことにしました。

 

 長崎港から船で40分くらいかけて軍艦島に行くのですが、近くまで行ったとしても、季節によってはたった4割くらいの確率でしか上陸できないみたいです。

 

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 しかし行った日は天気も良く風も全然なかったので、問題なく上陸することができました。

 

 ラッキー... やっぱり日頃の行い.......(笑)。

 

 

 さて軍艦島は映像やドラマでその光景は見ていましたが、やっぱりリアルに行ってみると迫力が違う・・!!

 

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 軍艦島は南北約480m✖️東西約160m(周囲約1.2km)の、東京ドームのグラウンド5個分程度の小さな島ですが、最盛期(1960年頃)はその中で約5,300人が暮らしていたとのこと!

 

 その時の人口密度は当時の東京の9倍で世界一だったみたいです。 この記録はまだ破られていないらしい。

 

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 この小さな島に、学校・映画館・ボーリング場・パチンコ・プールなんかもあり、所狭しと暮らしていたそうです。

 

 仕事は基本的に炭鉱夫の作業ばかりで、地下1,000mまでケージ(エレベーター)に乗って降りていき、そこで24時間交代制で石炭の採掘をしていました。

 

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 ケージは秒速8メートルというスピードで下降するので、炭鉱夫は当時のことを思い出して「フリーフォールに乗っていたようだった」と振り返っています。

 

 やはり労働環境は大変なもので、死者もたくさん出たらしいです(落下・爆発・トロッコに轢かれる等)。  

 

 それでも、当時は軍艦島で働くというのは憧れでもあったらしいです。 それはなぜかというと、「強烈にギャラが良かったから」。

 

 当時の一般の会社員に比べて3〜4倍の給料がもらえ、生活費もほぼかからなかったので(家賃は無料・水道光熱費も破格の価格で暮らせたらしい)、めちゃめちゃお金が貯まったみたいです。

 

 最後は採掘可能な石炭を全て採掘したということで、1974年に軍艦島は「誇りをもって」閉山することになりました。

 

 それから長年誰一人足を踏み入れていませんでしたが、2015年に世界遺産(「明治日本の産業革命遺産」の構成資産)に登録されることになり、改めて軍艦島にスポットライトが当たることとなりました。

 

 是非とも行ってみられることをお勧めできるスポットだと思います!

 

 

 

 さて長崎といえば、やはり「歴史上2発しか使用されていない原子爆弾」のひとつが使われた場所です。

 

 今回、初めて長崎の原爆資料館を訪れましたが、やはり改めてその恐ろしさを感じることとなりました。

 

 原子爆弾と言っても、「どんな大きさか・どんな形」なんて考えたことがなかったのですが、実物大のものが展示されていたので見ることができました。

 

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 思ったよりも小さい・・。 こんなものが、あの世界史上稀に見る惨劇を生み出したとは・・。

 

 

 

 「核のボタン」って聞いたことがあると思うんですが、映画のようにデスクの上に赤い大きなボタンがポツンと置いてある光景をイメージしていませんか?

 

 実は実際にはそのようなものではなく、「黒い革張りのバッグ」らしいのです。

 

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 この真ん中の女性が運んでいるバッグがそうらしい。

 

 ・・・おいおいマジかよ! こんな簡単に運ぶなよ.......。。。 色々と狂ってるよ......。

 

 このバッグは通称「核のフットボール」と呼ばれていて、中には最高権力者がどこからでも攻撃命令を出すための通信機器や暗号コードが入っているらしい。

 

 歴史を変えるような破壊力を生み出す仕組みやシステムが、こんなにコンパクトなバッグに入っているとは、よく考えたらめちゃくちゃ怖い話です。

 

 

 

 館内には色んな写真が展示されていましたが、個人的にはこの写真が一番胸をえぐられました。 

 

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 両親はすでに原爆によって亡くなり、背負っている幼い弟もすでに亡くなっており、一人弟を火葬するために火葬場にやってきた時の写真だと言われています。

 

 この少年はどんな気持ちで立っていたのでしょうか。 そしてその後どんな人生を歩んだのでしょうか。 想像するだけで、胸が締め付けられます。

 

 やはりこういうものを拝見するたび、今の当たり前の暮らしがいかに「幸せか」を感じることができます。

 

 近く、今度は鹿児島の「知覧特攻平和会館」に行ってみようと思っています。

 

 

 

 他にも豊臣秀吉の命によって、真冬に京都から長崎まで徒歩で連行され、酷い拷問の末に処刑された「26聖人」を祀る「大浦天主堂」や、幕末の志士たちを支援した幕末・明治の武器商人トーマス・グラバーが建てた「グラバー園」など、あちこちを巡ってきました。

 

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 長崎グルメもめちゃくちゃ堪能してアホほど食べまくったんですが、大阪に帰って体重を測ったら1.5kgも減っていました!

 

 

 めちゃくちゃ歩いたんやなあ・・・。 確かに坂が多かったから大変やったで・・・。

 

 

 

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