ACTIVITY / 活動報告
こんにちは、「前田のあっちゃん」と言えば、前田敦子ではなく前田日明(あきら)を連想する村田です。
前田さん、顔面はあかん、顔面は!!!
いや〜、しかし終わってしまいましたね・・・。。 いや、何がって、ジョジョ5部のアニメですよ!!
クオリティが高くて、ほんま面白かったなあ・・・。 次は6部はもういいので、7部の「スティール・ボール・ラン」をやってもらえないですかね?
「口は災いの元」という諺がありますが、最近は色々あって本当にその通りやな〜と感じます(笑)。 いっその事、みんなブチャラティに、口に「スティッキー・フィンガーズ」でジッパーを付けてもらった方がいいのではと思ってしまいます(ズッケェロみたいに 笑)。
さて先日から、弊社を会場にした矯正セミナーコースである『大阪歯並び塾(講師:丹根一夫先生・広島大学名誉教授)』が始まりました。
約20名が集まり、症例相談やデモンストレーションを学びました。 私自身、矯正の知識には乏しいのですが、やはり補綴だけではベストな治療ができないという事はずっと感じておりました。
今後は、矯正の知識も取り入れ、矯正ソフトを導入し、オーラルスキャンを絡める事により、様々な展開が期待できるのではないかと考えております。
やはり矯正の考え方は補綴とは全く違うので、新しい知識を頭に入れることができるのは本当に楽しいです! 秋くらいから、タイポドントを使った実習も始まりますのですが、それも非常に楽しみです。
まだこのコースは1期が始まったばかりなのですが、希望者が集まれば、来年早々にも並行して2期をスタートさせる案も出ておりますので、ご興味のある先生は気軽にお問い合わせください!
最近、「点と点」で全く接点の無かった事が偶然繋がり、「線」になるという瞬間をいくつか体験しました。
スティーブ・ジョブズの、有名なスタンフォード大学でのスピーチにもありましたが、「点と点」がいつか繋がると信じて、種を蒔き続けるというのが大切なのかなあ・・・と感じる今日この頃。
これは、先日昔の仲間から頂いた言葉。 短いですが、身に染みる言葉です。
さて、前回ゆるく予告していた話を書きたいと思います(誰も知らんけど笑)。
そうです、長州(現在の山口県)が誇る、あの革命家の話です! 山口県出身の革命家といえば、言わずと知れた・・・・・・・・、
そう、「革命戦士」こと長州力です!!!
・・・・と言いたいところですが(笑)、今回は長州力ではなく、「高杉晋作」の話です。 もちろん長州力も素晴らしい革命家ですが、今回は晋作でいかせていただきます!
どうでしょうか。この面構え・・・・。 絶対にタダモノではない(笑)。
この人は、坂本龍馬や西郷隆盛や新撰組とかに比べると、少し影が薄い印象があるかもしれませんが、私は幕末の志士の中ではこの人が一番好きですし、一番破天荒な人だと思っています。
間違いなく、日本の歴史を変えた一人です。 ホンマ、この人の人生はマンガ以上にムチャクチャなんです。
あ、だいぶ省略した上に、私の気持ちを入れて書くので、史実と異なる事があっても、幕末好きの方は怒らず読んでください(笑)。
高杉晋作は、長州藩に所属していた志士です。 若き日の彼は松下村塾の吉田松陰の元で「尊王攘夷(天皇を敬い、外国を撃退するという思想)」を学びます。
時はペリーの「黒船来航」の時代で、外国に対してかなりピリついていました。 その中で、「外国ムカつく!!」と、いきなり藩に断りも入れずに、舎弟の伊藤俊輔と共に、イギリス大使館に放火して焼き討ちしてしまいます。 ムチャクチャです。
またある時は、「今の長州藩には軍艦が必要だ」と思い、なんと長州藩に無断で「藩の後払い」で軍艦を購入してしまいます。 現在の貨幣価値で数億円の請求書が、後日藩に届いたという事です。
そんなことばかりしていたので、さすがに藩に「ええ加減にせえ!!」と咎められたのですが、その時に逆ギレして「じゃあ、出家して坊さんになります」と、頭を剃って山にこもってしまうんです。 もう無茶苦茶です。
さて、晋作のいなくなった長州藩ですが、ある時アメリカとフランスから総攻撃されて瀕死の状態に陥るんです。
そんな絶体絶命の時に、「あいつしかおらん」と、出家した晋作を長州藩に呼び戻すんです。
「あの晋作ならなんとかしてくれるかもしれない」と。
そうして帰ってきた晋作は、兵力を作るためにとんでもないアイデアをぶち上げます。
それが、有名な「奇兵隊」です。
奇兵隊は、「闘う気のある奴は、武士以外でも身分関係なく雇うで!!」というコンセプトで集められた集団です。集まった人たちは、武士だけではなく、農民や町人や猟師、果てには相撲取りで構成された「力士隊」なんかもあったとか・・・・。。
もう、完全にマンガの世界です。 晋作は初代総督として、この奇兵隊を率いて外国と戦います。 そして奇兵隊は下関の防御をすることになります。
この時、晋作23歳・・・。。。
そうこうしているうちに、「なんかおもろないねん!!」とばかりに、晋作は長州藩を脱藩して牢獄に入ってしまいます。 ちなみに当時は、脱藩は下手すれば死刑になるくらいの罪だったらしいのですが、なんと晋作は5回も脱藩したと言われています。 どれだけ集団行動苦手やねん(笑)。
さて、またまた晋作がいなくなった長州藩ですが、次はまたさらにヤバい敵が攻撃してきます。 次の敵は、「アメリカ・フランス・オランダ・イギリス連合軍」です!!
「4カ国連合軍VS長州藩」って・・・・、「ピッコロ大魔王 &フリーザ &セル &魔人ブウ VS ヤムチャ」くらいの無理な戦いですよ(笑)。
このマジの絶体絶命のピンチに、やはり頼ったのはあの男。
そう、高杉晋作です。
牢獄に収監されている晋作を呼び戻し、連合軍との交渉役を任せました。 さすがに今回は武力で戦っても勝ち目がないので、彼に停戦交渉をさせることにしたんです。 どんだけ晋作に頼るねん(笑)。
交渉の相手は、イギリス提督。 晋作は、留学経験があって、英語の出来る舎弟の伊藤俊輔と共に、相手の軍艦に乗り込みます。 その時の晋作の格好は、直垂(ひたたれ)に烏帽子(えぼし)という、当時でも滑稽な日本のトラディショナルスタイルで乗り込んだと言われています。
その時に相手に提示された停戦条件は、なんと900億円にものぼる賠償金の請求でした。 要するに、「900億払えば攻撃辞めたるで」と言われているわけです。
しかし晋作はこの条件を飲まず、「そんな金無い!欲しかったら幕府に請求しろ!!」と突っぱねます。
するとイギリス提督は「なら戦争再開するぞ!」と凄んできますが、「長州が本気出したら、お前ら一人残らず始末するからな!」と逆に凄んで見せたということです。
結局、賠償金は長州ではなく政府に請求される事ととなり、停戦となって連合軍の脅威から見事免れることができました。
交渉をしている時、急に晋作は「古事記」の講釈を始めたと言われています。 さすがにこの時は、舎弟の伊藤俊輔も「狂った・・・。。。」と思ったとか。
その時の様子を描いた映画があるのですが、それがこれ(古事記の講釈を始めるのは4:30〜)。
オモロイ(笑)。 古事記の講釈をした理由は諸説ありますが、「会話が通用しない状況を作って、交渉自体をうやむやにしようとした」という話もあります。
この時、通訳をしていたイギリス側の通訳が、後にこの時の事をこう語っています。
「高杉は、戦に負けている分際なのに、魔王のように傲然と怒っていた」
かくして連合軍を見事退けたのですが、またその後に新たな強敵が長州藩を攻めてきます。
そうです、幕府軍による長州征伐です!!!
晋作はこの時、幕府に命を狙われて福岡に身を隠していましたが、またもやこのピンチを助けるために長州に舞い戻ってきます。
そして、あの奇兵隊に、「戦いの日の朝に功山寺(下関)に集まれ!」と決起を呼びかけますが、「あまりにも無謀だ」と反発をくらってしまいます。 しかし、「一人でもやってやる」と約束の日の朝に功山寺で待っていると・・・・・、舎弟の伊藤俊輔率いる力士隊をはじめとして、約80人が呼びかけに応えて集まりました。
写真は、功山寺にある高杉晋作像
たった80人でしたが、最終的には、晋作の檄に応えた長州藩の志士達が合流し、最終的には見事幕府を打倒することになります。
かくして、大政奉還が行われ、新政府が誕生することになるのですが、晋作はその直前に、結核によって生涯を終えることになります。
なんと、若干27歳でこの世を去ってしまうんです・・・・・!!!!
死の直前に詠んだ、この辞世の句はあまりに有名です。
「面白き事もなき世を面白く」
いや〜どうでしょうか、あまりに凄すぎます。 この人は、個人的には「チェ・ゲバラ」に匹敵する革命家だと思っています。 俺も少しは頑張らんと・・・・って、誰と比べとんねん(笑)。
で、晋作は明治を迎える事なくこの世を去ってしまいましたが、共に戦った伊藤俊輔は明治維新後も生き残り、明治の世で政治家として活躍することになります。
そうです、この伊藤俊輔とは・・・・・・・・・・・・・・、
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日本国初代内閣総理大臣・伊藤博文です。
伊藤博文は、後に高杉晋作の事を振り返ってこう語っています。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然、あえて正視する者なし。 これが我が東行高杉君に非ずや」
(動けばまるで雷のように豪快かつ、風のように早い。みんなビビってしまって、マトモに目を合わせる奴もいない。これが高杉晋作という男である)