ACTIVITY / 活動報告
こんにちは、最近「ユビッジャ・ポポポー」が」気になって仕方ない村田です。
なにが面白いのかわからないんですが、なんか中毒性があってずっと見てしまいます。
この粗品とのコラボを見れば、彼が「只者ではない」ことがわかるはず。
彼のかけているサングラスが欲しくて探したんですが見つからず。 でもSHEINにこんなサングラスがあって、多分これを逆さにかけてるんだと思います。

とりあえず買ってみます(笑)。
まあ・・・どんな形あれ「ブレずにやる」というのは素晴らしいことであります。 しかしこれ誰なんやろ・・・。 どうでもええか(笑)。
最近はおかげさまで非常に忙しく、来年を見越してスタッフを増員しといたほうが良さそうなので、来年度の新卒・既卒問わず募集を再開しようと思います。 事務員も増員します。
「我こそは!」と思う方がいらっしゃいましたら、見学だけでも結構ですのでご検討頂けると幸いです。
今のラザロには、きっと来られる方が「欲しいもの」がきっとあると思います!!
さて、なんかここのところ結構頭が冴えており、いろんなアイデアが湧いてきております。
全てのアイデアを形にしようと思って全部同時進行で走っておりますが、考えることややること多すぎて、どうも脳みそがキャパオーバーに陥ってるっぽいです。
また自分を過信しすぎました。 自分の脳みそなんて初代ドラクエくらいのデータ容量しかないのに・・・(笑)。
ちなみに初代ドラクエのデータ容量って64kbらしいです。 これって、今のLINEのスタンプよりもデータ容量小さいらしいです。
当時のクリエイター達は、その容量の少なさをアイデアでカバーしてきたみたいです。
例えば、マップの一つ一つの地形を描いたら簡単に容量オーバーになるので、草・森・山・海などの「タイル」のデータを作り、それらを再利用しまくったみたいです。

要するにレゴブロックのように組み合わせることにより、容量を大幅に激減することに成功したとか。
先人たちの偉大さは計り知れません。
とまあ、そんな感じで色々並走させているのですが、やっぱり中にはうまくいかないこともそれなりにありますね。
最近は「うまくいかなくて当たり前マインド」が自分の中で当たり前になりすぎてますが(笑)、慣れるまではやっぱりなかなかしんどかったですね。
『旅人よ、計画通りにいかないことがたくさんある』
これはブルーハーツの「旅人」という曲の歌詞ですが、今聞いたら胸に沁みるわ・・・(笑)。
とは言え「ストレスマックス」かと言えばそんなことはなく、むしろ考えれば考えるほど楽しくなってストレス発散になっているので、やっぱり自分はある種の変態なのかなあと感じます(笑)。
ちなみにアイデアを練ったり作業に集中する時は、場所を変えてラボを大きく離れることにしています。 そのほうが圧倒的にうまくいくんです。 留守の間ラボを守ってくれるスタッフ達にはホンマ感謝。
まあ来年は色々仕掛けていこうと思っていますので、どうぞご期待ください!!
先日、神戸で開催されている「ゴッホ展」に行ってまいりました。

私は芸術的なセンスは『皆無』ですが、なんか昔からゴッホだけは好きなんですよね・・。
なんか引き込まれるというか、うまく言葉で表現できない素晴らしさがあります。
今回は作品の中でも好きな「夜のカフェテラス」が初来日ということで、非常に楽しみに行ってまいりました。

やっぱり実物はなんかよかったです。 なんかよくわからないけど(笑)、圧巻でした。
「夜のカフェテラス」は、それまで夜を表現するのは「黒」を使うことが当たり前だった時代に、初めて「青」で夜を表現したと言われています。
青と黄色のコントラストがホンマ綺麗。

ちなみにゴッホは、日本の浮世絵にも大きな影響を受けていると言われていて、模写したものや、自身の作品にも浮世絵を描いていることがあります。
左が原画で、右がゴッホの描いた模写です。


自画像の後ろにも浮世絵が!!!
ゴッホは葛飾北斎の大ファンであり、弟に宛てた手紙には、
『北斎は70歳を超えてもなお成長し続けたが、自分にはこれほどの謙虚さと向上心があるだろうか?』
『北斎の描く線は力強く、空気を震わせるほどだ。あれはすでに絵画などではなく、音楽である。』
『北斎のように、私も歳を重ねながら上達したい。彼の生涯は、私の希望の光である。』
どうですか?? あのゴッホにここまで言わせる葛飾北斎のすごさよ・・・。 もっと日本人は彼のことを誇りに思うべきです。
以前葛飾北斎について書いた記事があるので、よかったら⇩
https://www.lab-lazarus.com/post/activity-report/202011290032/
ところで、ゴッホは言うまでもなく世界中で知られている一流の芸術家ですが、実は生前は一枚しか絵が売れなかったと言われています。 その絵も生活を支えるほどの価格では売れず、もちろん生活は困窮。
ではなぜゴッホが絵を描き続けれたかというと、弟のテオが生活費・画材代・家賃など、すべてのお金を兄ゴッホに送っていたからです。

テオは世界中で唯一の兄の理解者であり、最後まで兄の才能を信じ続けました。
二人は生涯で650通の手紙のやり取りをしたと言われています(北斎へのリスペクトもその中の一通)。
しかし精神的に不安定だったゴッホは、最終的に銃による自殺で37歳という若さで亡くなります。
テオもゴッホの死からわずか半年後、精神的なショックによる衰弱により、33歳という若さで後を追うように亡くなります。
この時点でもゴッホの絵は一枚しか売れていません。
ではなぜゴッホは世界的な画家になったのか?
それは、テオの妻であるヨーが、家に遺された膨大な絵画と手紙を世の中に知らしめたからです。
「この兄弟の絆と最高の作品を、私が世に伝えなければならない」
そうヨーは確信し、その後作品の世に知らせるために生涯を捧げます。
ただ、当時ゴッホは無命中の無名。 なので画商もギャラリーも全く相手にしてくれない。
そこでヨーは自分で展覧会を企画し、評論家に手紙を送りまくって、最終的に世界的な評価を得ることに成功しました。
ヨーのすごいところは、ゴッホの絵を欲しがる人が現れても絶対に簡単に安価で売らなかったというところ。
「価値がわかる人にしか、そして本当の価値でしか売らない」と決めていました。
この戦略が後のゴッホ作品の「希少性」と「爆発的人気」に繋がったと言われています。
ダンピング合戦に簡単に乗り、「本来の価値と大きくかけ離れた安い技工料」で補綴物を販売している技工士さんは、今どんな気持ちで聞いてますか?
しかしヨーってすごすぎません??? 世が世なら天才的なプロデューサーになったような気がします。
もしテオとヨーがいなければ、ゴッホは「精神障害の売れない画家」で終わってしまったでしょう。
今、ゴッホとテオは隣同士のお墓で眠っています。

次フランスのパリに行くことがあれば、是非とも行ってみたいと思っております。
